いらっしゃいませ、木津屋治郎兵衛でございます。ご縁を頂き感謝です。これからも末永く、よろしくお願いいたします。
プロフィール
TV出演時の映像より
記したいことかあった時だけの「 気まぐれなブログ 」です
木津屋治郎兵衛のブログは、木津屋のサイトにもございます
今、NHK大河ドラマ 「 どうする家康 」が放送されています
血のご縁があり、応援しています
徳川家康公の高祖父は、ぼくの直系のご先祖です。徳川家康公の祖母も、ご先祖の孫です
それと、登場人物の織田信長のお姉さんは、ぼくのご先祖の家に嫁ぎました
「 どうする家康 」
出演:松本潤さん、有村架純さん、広瀬アリスさん、松嶋菜々子さん、甲本雅裕さん 他
徳川家康と木津屋 ( kizuya.jp )
読売テレビの番組のロケがあり、大津市まで行ってきました
立命館大学びわこ・くさつキャンパスの近くで、とても良いところでした
ニットのベストをリメイクして、自転車のハンドルカバーを作りました
こども達といっしょに作業をして、とても楽しいロケでした
2022年10月24日放送
一日中、ウミガメについて、語り聞き見る会がありました。
いろんな視点からの考察で、この一日でウミガメについての理解が大きく広がりました。とくに、今まで「食」としてのウミガメというものが、ぼくの中になかったのですが、その方面の知識が深まりました。
はじめて、ウミガメに触ることができました
また、ウミガメを通して、色んな人と出逢えました
令和元年9月21日(土) 生き物文化誌学会「ウミガメ例会」
神戸市立須磨区民センター 神戸市立須磨海浜水族園
このあいだ、イスラム教のモスクに行きました。モスクとは礼拝堂のことです。礼拝の時間に合わせて入れて頂き、信者の方の礼拝を見守ることができました。彼らの信仰の深さを強く感じました。
この度、イスラム教の人がムスリムと呼ばれていることを知りました。日本人のムスリムであるアリさんに、モスクの中を案内してもらい、イスラム教のことについて教えてもらいました。
その後、ムスリムのアムシャド・A・ナザルさんが営むパキスタン料理のお店「アーンズカフェ」で、お食事を頂きました。
とても貴重な体験でした。
平成31年3月5日 大阪マスジッド(モスク 西淀川区大和田)
主催:なにわ名物開発研究会 企画:友人の中井敏博さん
色々なテーマの発表を聴いたり、観たりすることができました。また、生き物に興味のある学会員さんと、楽しく交流することができて、さらに良かったです。
学会の発表の合間、立正大学の秋田貴廣教授より、取り組んでいらっしゃる仏像修復についての説明を賜りました。修復中の仏像を間近に観せて頂きながら、丁寧な解説を聴くことができ、とても貴重な体験でした。
今までに調べてきたことを、さらに掘り進め、近々、学会で発表できたらと思います。
「生き物文化誌学会 東京大会」 平成30年6月23日 立正大学
シンポジウム「絶滅危惧種を喰らふ」
ファッションの仕事をしている者として、ヒロコさんと身近に接することができ、とても光栄です。コシノヒロコさんの邸宅(元)を、あちらこちらと見てまわれたのも感動でした。安藤忠男さんの設計で、とても素晴らしい邸宅でした。
写真:木津屋治郎兵衛、コシノヒロコ先生、木津屋ゆう妃
(芦屋市奥池町にて)
今年に入って、奄美大島のシマ唄名人の門を叩き、入門させて頂きました。毎週、お稽古をつけて頂いています。
奄美大島のシマ唄を聴くようになったのは、妻のお里が奄美大島だからです。その中でも、師匠の武下和平さんのシマ唄が別格だと感じていました。
武下和平師匠は大御所の中の大御所で、「百年に一人の唄者(うたしゃ)」と呼ばれています。
写真:奄美大島にあるシマ唄のお店「郷土料理 かずみ」です。先月、遊びに行ってきました。いつか「かずみ」で歌いたいですね。
木津屋のサイトや、facebookでの投稿が多くなり、こちらのブログはご無沙汰になっていましたね(笑)
ちょうど10年前に、不食についてのブログを書きました。
今振り返ってみると、すっかりベジタリアンになった自分があります。
今やっとここにきて、ブレサリアンに移りつつあるような気がします。これからが楽しみです。
奇跡です! ダライ・ラマ法王とお話をするという機会に恵まれました。昔から尊敬していた方と同じ場所に居れるだけでも幸せなのに、近くで対話ができるという夢のようなできごとでございました。その時から、これからの残りの人生、そして来世も、「慈愛の心」で生きていきたいと思うようになりました。また、チベットのためにできることを考えてやっていきたいとも考えています。このことについては、法王様にもお聞きいたしましたが、まずは関心を持って、チベットのことをもっと知っていこうと思います。そしてそれを人に伝えていきます。きっとチベットには、自分の知らない素晴らしい文化がたくさんあるはずです。楽しくやっていきます。合掌。
14世ダライ・ラマ法王との奇跡の日:平成25年11月24日
この出来事は「木津屋」のブログにも書きましたが、とても嬉しく、少しでも多くの人に伝えたいので、このページにも引用しました。それとともに、一人でも多くの方が、チベットの文化や問題に関心を寄せて頂けたら嬉しいです。ぼくはきっと数年後には、チベット博士になっていると思います。
先月19日、MBS毎日放送の「ちちんぷいぷい」に出演いたしました。撮影は当家のご先祖小野妹子のお墓の前で行われました。小野妹子のことや当家の歴史などについて熱く語りました。撮影の最後に、私とタレントさん、アナウナサーの方の3人で、小野妹子のお墓にお参りしたことが、とても心に残りました。きっと、御先祖様も喜んで頂いたと思います。
放送はコーナーの「とり」をとるような形になっており、出演時間も長く、とても良かったです。
出演:西靖 桂南光 堀ちえみ 佐藤弘道 廣田遥 くっすん 河田直也 古川圭子 他(敬称略)
作家デビュ−をいたしました。と、申しましてもまだ発表作品はありません。執筆活動を始めたということです。
ぼくの経験を通じて人のお役に立てることがあれば嬉しいです。また、面白おかしく楽しんで頂けたらと思っています。
作家デビュー:平成二十五年七月八日
一昨年の秋に初体験したハンググライダー。空を飛ぶ魅力に感動したぼくは、その日のうちにスクールの入校を決意。ぼくのハンググライダー物語が始まりました。インストラクターに付いてもらうタンデムフライトで、指導を受けること1年半。ついに、半月前からソロフライトができるようになりました。念願のグライダーも手に入れ、夢は膨らむばかりです。
ハンググライダー仲間も募っています。いっしょにやってみたい方、一日だけ体験してみたい方は、お声をおかけ下さいね。
写真:愛機 WilsWing Falcon3 (U.S.A)
今日は旧暦のお正月。日本ではほとんどが太陽暦で動いていますが、季節感から言うと、この時期の方が初春にぴったりかと思います。
楽しいことは何度あってもいいので、今夜はもう一度お正月気分を味わって乾杯したいです。そして、年賀でも公開した「ゆうな生き方」をここでもご紹介します。
今年一年が皆様にとって、「ゆとり、ゆったり、裕福、優雅、悠々、豊か」、そして順風満帆でありますことを確信しております。
平成二十五年元旦(旧暦)
14日の朝、6番目の子供が生まれました。五男です。大家族を目指してきたのではありませんが、神様の思し召しで自然とここまで来ました。テレビを見ていますと、まだまだ大家族と言うには中途半端な人数のようです。でも、6人目の子供ですと言うと皆さん驚かれます。大阪の橋下徹市長はお子様が7人いますので、うちはあと一歩という感じですね。
何はともあれ、子供が何人いても赤ちゃんは可愛いものです。小さくて天真爛漫な赤ちゃんを抱っこすると、愛おしくてたまらなくなってしまいますね。
写真:生まれてすぐの赤ちゃん
先日、朝日新聞さんに当店ユキルームを紹介して頂きました。誠に感謝でございます。取材して頂いた記者の方に、お直しの種類や方法、流行のお直しなどについてのお話をしましたところ、可愛いカラーイラストの図解入りで、とても判りやすくまとめ上げてありました。さすがプロだなと感心いたしました。予想よりはるかに、誌面を大きく使って頂いてたのも驚きでございました。新聞掲載の反響が、やっと落ち着きを見せてきましたので、ようやくこの日記を書いております。ありがとうございました。
朝日新聞 2012年4月15日 日曜日 朝刊 執筆:高橋健次郎記者
この間の日曜日、生れて初めてハンググライダーを体験いたしました。行くと決まった日からずっとドキドキしていましたが、本当に最高でした。空の上から見る川や町は夢を見ているような感じでした。一度その気持ちよさを知ってしまうと、もうこれは止められないなという感じです。これはずっとやろうと思いました。これって、子供の頃からの「空を飛びたい」という夢がかなったということですね。人生の記念日にしたいと思います。
そしてその日は、天気も最高でした。平成23年10月16日 日曜日
昨日、生駒山にハイキングに行きました。とても驚いたことがございました。なんと秋の虫の鳴き声に混じって、蝉が鳴いていたのです。種類はツクツクボウシです。一度聞いただけで、その後は聞くことが出来ませんでした。10月に蝉。これって普通のことなのかどうか、ネット検索で調べたところ、暖かい地方では10月上旬でも鳴き声を聞くことがあるようです。しかし、私にとって10月10日に蝉の鳴き声を聞くのは初めてのことで、とても感動いたしました。いったいあのツクツクボウシは、いつまで生駒の山で鳴いているのでしょうか。
それと、キリギリスも捕まえましたよ。
四天王寺さんに、恒例の「篝の舞楽(かがりのぶがく)」を見に行きました。この日はお天気にも恵まれ、涼やかな風がとても気持ちよく吹いておりました。舞楽・雅楽は、小野妹子の遣隋使とその後の遣唐使が伝えた、千年以上前の芸能を今に伝えるもので、日本が世界に誇るべきものの一つと思います。舞楽・雅楽は、その発祥地ではとうの昔に廃れてしまっています。それにもかかわらず、古式を守り継承し続けることが出来たのは、この大和の国が、物質的にも精神的にも平和であったことが、一つの理由ではないでしょうか。この国の平和と御仏の御加護に、改めて感謝でございます。
「篝の舞楽(かがりのぶがく)」〜平成23年8月4日、四天王寺伽藍内講堂前庭にて。演奏:天王寺楽所雅亮会 司会進行:雅亮会理事長 小野功龍
サルバトール・ムンディ(救世主) 2011年7月13日(水)
本当に、久しぶりに飛び上がるほど驚きました。今日の新聞に、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が発見されたとありました。ダ・ヴィンチ好きの私には、本当にたまらない知らせでございます。今後、色んなメディアで取り上げられますが、本が出たら買おうと、今からわくわくしております。本当に出てくるものですね。この時代に生を受けたことに感謝いたします。いつかどこかで本物のサルバトール・ムンディ(救世主)とお目にかかりたいと思います。楽しみでございます。
(注釈)サルバトール・ムンディ"(救世主)は、レオナルド・ダ・ヴィンチの1500年頃の作品で、行方不明になっておりました。
「斎藤一人 大宇宙エネルギー療法 感動物語」の出版記念パーティーに行って参りました。この本には私も載せて頂いたということも有り、とても思い入れの深いパーティーとなりました。そして、日本一の商人(あきんど)と呼ばれている斎藤一人さんとハグが出来たので、これまた大きな力を頂いて帰れたという感じです。斎藤一人さんから聞いた素晴らしいお話も、これからの仕事に大いに役立つことでしょう。
平成二十三年五月二十二日 於 グランドプリンスホテル新高輪 飛天の間
この間、母校である桃山学院高等学校の同窓会に行って来ました。同窓生とは実に25年ぶりの再会でした。皆のとても元気そうな顔を見れ、参加してとても良かったです。それに、お世話になった先生ともお会い出来、感無量でございました。また、同窓生の色んな分野での活躍ぶりを聞き、私も、ぼーっとはしてられないなと、良い刺激も頂いて帰れました。校歌をすっかり忘れていることにはショックでした。しかし歌っていると何となく思い出し、これまた驚きでした。
そんなにたくさんの人数は集まれませんでしたが、今後は、もっとたくさんの旧友が集まれる同窓会になればいいなと思います。
私は83期生なのですが、同窓会からの連絡が来ない方は、事務局か私の方までお連絡下さい。
作曲家の西村朗先生のお話を聞かせて頂ける機会に恵まれました。西村朗先生はNHK教育テレビのN響アワーで司会をされていらっしゃいますので、ご存知の方が多いと思います。伝統舞楽曲の蘇莫者(そまくしゃ)をオーケストラで蘇らせるという、とても変わった作曲家でいらっしゃいます。
西洋音楽の常識から云うとタブーである、“heterophony”(異質な音の響き)のお話に、とても感銘いたしました。西洋音楽的には音を外しているとしか理解されない“heterophony”(ヘテロフォニー)。日本の雅楽などに存在する、微妙な音のずれが織り成す美しさや心地よさ。素晴らしい伝統芸術が有り、それを美しいと感じれる感性。本当に日本人に生まれて良かったと思いました。西洋人には判らない、西洋の音階では表し切れない音の美しさがあることを気付かせて頂けました。しかしそれと同時に、どのようにして譜面にされたのだろうかと、素人の私には不思議でございます。また、それを演奏された、指揮者の沼尻竜典さんと大阪センチュリー交響楽団の方々は、かなりご苦労をされたのではと、余計な心配をしてしまいます。
CDのご紹介。西村朗:管弦楽作品集〜オーストラのための蘇莫者 沼尻竜典指揮 大阪センチュリー交響楽団 CMCD-28199。
いけばなの展覧会に行ってきました。たくさんの綺麗な花を愛でることが出来て、すっかり、春の気分を味わうことが出来ました。華道に関しては素人の私ですが、お気に入りの作品を選んでみました。
さすがに、自分が華道の素人だと痛感いたしましたのは、家元と次期家元の作品の良さが全く判らなかったことでございます。
写真左から五嶋喜月先生(滋賀北支部)、山村綾葉先生(西大阪支部)。「いけばなの根源 池坊展」大阪高島屋にて。
先日17日に、木津屋治郎兵衛の名跡襲名二周年を迎えました。あっという間の2年間でございました。すっかり自分の名前になった感がございますが、これからも、御先祖様に恥をかかさないよう、より一層の精進をしていきたいと思います。
時間の経つのは早いもので、平成二十一年も今日で終わりでございます。再来年には木津屋創業300周年を控えております。来る二十二年も心引き締めて、顔晴って(がんばって)いきたいと思います。改めて平成二十一年に感謝いたします。
最近、歴史ブームと云うことを良く見聞きいたします。先日も、とある雑誌を拝見していますと、戦国武将の特集をしておりました。特に女性ファンが多く、「歴女」と呼ばれているということで、テレビを見ない私には、新鮮な驚きでございました。インターネットで人気武将ランキングというのを調べてみますと、どこも真田幸村が一位でございました。
真田幸村というと、この夏、「真田まつり」というお祭りを見て来たことを思い出しました。「真田まつり」とは、和歌山県伊都郡九度山町で、毎年5月に行なわれているお祭りでございます。九度山町は、真田昌幸・幸村父子が閉居していた地で、真田幸村親子を偲んで行なわれております。私は、九度山の町と自然がとても好きで良く参らせて頂いており、「真田まつり」は去年も見ました。
何故か私は真田幸村に縁がございます。九度山に始まり、真田幸村が戦の勝利を祈願した志紀長吉神社、「真田の抜穴」のある三光神社、真田幸村戦死の地である安居神社、そして大阪城、全て真田幸村を意識せずに行っておりました。不思議でございます。
毎年恒例の、小野妹子様のお墓参りに行って参りました。懸命に人生を生き抜いた御先祖様がいらしたお蔭で、現在の私がございます。普段は忘れがちな御先祖様への感謝の気持ちが、呼び起こされました。本当に、この人生を頂いたことに感謝せずにはおられません。
小野妹子様のお墓参りの後、聖徳太子様のお墓参りにも行って参りました。聖徳太子様の御廟は本当に神気に満ち溢れ、とても素晴らしい気を頂いて帰れました。聖徳太子は実在しなかったと論ずる学者の方もいらっしゃいます。「頭だけで考えず、魂で感ずれば、聖徳太子様が実在することは明白なのに。」と申し上げたく思います。
小野妹子の命日 6月30日 紫雲山頂法寺 伝
写真等は、小野妹子のサイトにもございます。
忌野清志郎さんが他界されましたが、何か嘘のようです。忌野清志郎さんは、私の心の中では年の離れた兄貴のような存在でした。私が周りの大人や体制に押し潰されそうになっていた思春期の頃、「短いこの人生で一番大事なもの、それは俺の自由、自由、自由。」と勇気付けてくれました。忌野清志郎さんの書かれた詩は、生涯に渡って私に影響を与え続けることと思います。
忌野清志郎さんが他界された日の、まさしくその時刻に、忌野清志郎さんからお知らせがございました。ですから、旅立たれるのに時を同じくして、お別れをすることが出来ました。忌野清志郎さんファンとして最高に光栄なことと感じております。本当に幸運です。
今も、私の側に忌野清志郎さんを感じることが出来ます。だから、他界されたことが嘘のようです。盛大な「葬儀式」の映像を見ても、忌野清志郎さんお得意の、毒のきついジョークのようにしか思えません。いつでも忌野清志郎さんに会えますし、私が肉体を離れた後もお会いできるのではと、今から楽しみにしております。私の忌野清志郎さんへの気持ちは、「感謝」の一言に尽きます。清志郎さん、本当に有り難うございました。感謝いたします。そして愛し合っています。
清志郎さん、ではまた、お会いする時まで。
忌野清志郎 2009年5月2日午前0時51分 自由気ままな旅に出る 享年58歳
去年より始めた、スピリチュアルヒーリングのボランティア活動がとても賑わい、5ヶ月ぶりの日記となりました。「洋服のお直しと心身のお治し」の木津屋でございますが、その心身のお治しの方の活動でございます。近年は、欝(うつ)などの精神的な疾患をお持ちの方が大変多く、また、原因不明の体の疾患も良くご相談を頂いております。ヒーリング(治療)により良くなられる方を見るにつけ、現在のような時代における、スピリチュアルヒーリングの必要性を痛感させられます。
スピリチュアルヒーリングというと、まだまだ、信じられないという方もいらっしゃるようですが、西洋医学と違い、体に全く害や副作用がないので、試しにでも一度受けられることをお奨めします。特に、私が施術しているボランティアのスピリチュアルヒーリングは、無料ですので金銭的にもなんら問題がありません。時間も数分で終わります。また、遠隔療法といって、遠方の方にもヒーリング出来ます。ご興味のある方は、お連絡下さい。ただし、大変好評につき、今後もずっと対応仕切れるかは厳しい状況ではございます。
私の施術しているヒーリングは、大宇宙エネルギー療法というもので、伝授もいたしております。
去る5日、斎藤一人さんと香取神宮と鹿島神宮にお参りに行く機会に恵まれました。香取神宮、鹿島神宮、伊勢神宮で三大神宮と言われております。三大神宮の内の2つにお参り出来て、とても沢山のエネルギーを貰えました。また、日本一の商人斎藤一人さんからも絶大なパワーを頂き、とても幸運な一日でした。そして、鹿島神宮ではとても不思議な体験をいたしました。不思議な体験の中身は内緒にいたしますが、いわゆる超常現象と言われる類のものです。
先月26日には、私の妻が斎藤一人さんと伊勢神宮にお参りしておりますので、夫婦で三大神宮全てに参ったことになり、とても幸運なことでございます。度重なる幸運に心から感謝いたしております。
ここで斎藤一人さんをご存知のない方に、簡単にご紹介いたします。斎藤一人さんは、銀座まるかん(日本漢方研究所)の創設者で、日本一のお金持ちとしても有名で、数多くの著書も著しておられます。最新刊の「運命は変えられる」もベストセラーになっております。
以前にこのブログで書かせて頂いた「高額納税者番付」「高額納税者番付 2」に続く、「高額納税者番付 3」ということになりますが、この斎藤一人さんは、12年間連続で10位内に入り続け、累計納税額も第1位で、別格の方です。1位にも2度なられています。今後も、「高額納税者番付」上位の億万長者の方にお会いする機会もあろうかと思いますが、今生でこの方を凌ぐ方に会うことはないと思われます。
香取神宮と鹿島神宮のお参りで、とても力が漲って帰って来れ、極めて幸運な体験でございました。本当に有難うございました。
(注記)現在は、法律が変わり、高額納税者番付(長者番付け)は公開されていませんので、斎藤一人さんの近年の順位は判りません。
この夏の思い出です。
お盆休みに奄美大島に行って参りました。つくづく、自分が天国に生まれたということを再認識させられました。とにかく海が綺麗です。よく行く和歌山の海も綺麗なのですが、奄美大島の海はもっともっと綺麗です。目の前に広がるさとうきび畑や、朝登るお陽様をぼーっと見ているのは、最高の至福の時間でした。
普段私達は、自分が天国に住んでいることを忘れがちです。たまに、奄美大島のような素敵な場所に行くと、それを思い出させてくれます。毎日の慌しい生活の中で、自分が天国に住んでいることを忘れてしまいそうな時は、奄美大島での素晴らしい体験に心を馳せてみようと思います。そうしたら、「自分は天国に生まれたんだ」と思い出すことができるでしょう。そしていつかは、一日中そういう気持ちで居られるようになりたいものです。日常のどんな些細なことにでも、幸福を感じることができるようになれれば最高です。
奄美大島では、本当に素晴らしく、有難い時間を過せました。
誠に、私達は天国に住んでいます。
木津屋のサイトの方にも書かせて頂いたのですが、あまりに嬉しいので、こちらにも少し書かせて頂きます。
今からおよそ300年前に創業の木津屋ですが、戦前までの本家の写真は、まったく見つかっておりませんでした。大阪大空襲により、全て焼失してしまった為です。しかし、蔵造り建築であったと言われており、どこかにないものかと捜し求めておりました。ありがたいことに、その念願の写真が先日見つかったのです。私には奇跡と感じられました。当時のごりょんさんにとっては、63年ぶりに見る木津屋の蔵造りの雄姿です。大変に感動しておりました。
埼玉県川越市の蔵造りの町並みは有名ですが、大阪では珍しい蔵造り建物に、今後の調査・研究が必要と考えます。ここや木津屋のサイトでも公開していく予定ですが、また一つ楽しみが増えました。
本当に、この度の御縁には、とても感謝いたしております。
先日、松下幸之助翁のお墓参りに行って来ました。早いもので、松下幸之助翁が亡くなられて19年の月日が流れます。今年は20回忌でございました。天気がとても良かったせいか、お墓のある松下幸之助翁の生誕地からは、何かとても素晴らしい波動が発散されているように感じました。
そして、素晴らしい出会いもございました。それはボランティアで生誕の地の掃除と語り部をされている無学求道さんとの出会いです。無学求道さんの、松下幸之助翁に対する熱意とその活動にとても感銘いたしました。また、座禅・瞑想・掃除についてのお話等、1時間以上に渡りお話をお聞かせ頂き、勉強になることがたくさんございました。実際、その日以降の生活に影響を受けております。こういう素晴らしい方もいらっしゃるのだなと嬉しくなりました。
20年来勉強している「松下幸之助」ですが、改めて勉強し直したいと思わされた一日でございました。そして、エネルギーをいっぱい貰って帰れました。
無学求道さんのサイト〜サトレば人生が楽しくなる
数日前、ふと「玉音放送」が聞きたくなり、久しぶりに聞いてみました。すると驚いたことに、涙がぽろぽろ出てきて止まらなくなりました。「玉音放送」は歴史的に面白いので、以前から何度か聞いたことがあったのですが、今までは今回のようなことはなく、我ながらとても驚きました。世の中本当に不思議なことがあるものです。まあそれが面白くもあります。63年前の熱い夏の日に、ラジオの前に直立不動で立ち、天皇陛下の言葉の一言一言を噛み締めながら聞いているような感覚でした。悔しさが心の底から込上げてくるようでした。どんなに優れた映画でも、あれほどには入り込めないと思います。
とりあえず、不思議な体験ということで、終わりにいたします。
※ 「玉音放送」とは、時の天皇陛下が、肉声で太平洋戦争の終結を宣言したラジオ放送のことです。
昨年は、小野妹子の遣隋使1400周年が話題になりました。それに関連して、私の協力掲載誌が出版されましたので、ご案内いたします。「世界思想2月号(世界思想社)」にて、小野妹子および「四天王寺ワッソ」が特集されております。ご興味のある方はご覧になって下さい。
本日十二月十七日、「十三世 木津屋治郎兵衛」の名跡を襲名いたしました。本当に感無量でございます。感謝の一言に尽きます。今はささやかな「木津屋」でございますが、行く行くは、大きな社会奉仕ができる店に育てて行きたく思います。今後とも、木津屋治郎兵衛ならびに、「木津屋ユキルーム」をよろしくお願いいたします。
(襲名のお話は、前回の日記にも書いております。また、木津屋のサイトでも詳しく紹介されております。)
十三世 木津屋治郎兵衛、名跡襲名 2007年9月28日(金)
私は、来る12月17日をもって、「十三世 木津屋治郎兵衛」を名跡襲名いたします。
こう言いましても、一体何のことかお判り頂けないと思いますので、ご説明いたします。まず「木津屋」ですが、これは私の家の先祖代々の屋号でございます。創業正徳元年(1711年)の商家でございます。「木津屋」という屋号は、聖徳太子様の四天王寺創建にに伴い、全国から大量の木材が、御先祖の住んでおった難波の海浜の邸宅前に集められたことに由来します。
そして、木津屋では創業以来、歴代の当主は、「木津屋治郎兵衛」の名跡を襲名する慣わしとなっております。今日では、襲名と言うと、歌舞伎や浄瑠璃等の家元に残る、珍しい慣習になっておりますが、昔の商家では、良く見られた慣わしでございました。諸所の事情により、先代からの継承が遅れておりましたが、この度めでたく、襲名する運びとなりました。これもひとえに御先祖様の御蔭と、感謝感謝の日々でございます。
そして、12月17日は、先代の「十二世 木津屋治郎兵衛」の命日で、名跡襲名の日としては、これ以上の日はございません。
とまあ、大げさに説明いたしましが、特に何が変わると言うわけでもありません。普段は、戸籍上の名前も使って行くと思われますし、日々の仕事内容も私生活も、急変する訳でもないでしょう。また、現時点での「木津屋」は、とてもささやかなものでございます。
しかし、一つ大きく変わることがございます。それは、私の心理状態です。今までは、「私の仕事」と思ってきたものが、これからは、創業300年の重みを背負った「木津屋の仕事」となり、心持ちが全く変わってきます。今はささやかな「木津屋」を、今後、隆盛たる「木津屋」に変えて行かねばならぬ責任と、また、それに挑戦して行ける喜びがございます。このような体験ができることを、とてもありがたく思います。
今後とも、大阪南堀江の「木津屋」をよろしくお願い申し上げます。
十三世 木津屋治郎兵衛
去る6月30日、小野妹子墓前祭に行ってきました。まずは、その小野妹子墓前祭についてお話いたします。
一般的な日本史では、遣隋使小野妹子の生没年は不詳とされていますが、華道家元池坊においては、6月30日が命日であると伝わっております。そしてその命日に、道祖小野妹子墓前祭という祭り事が執り行われています。
そして、小野妹子と華道家元池坊の関係ですが、小野妹子は華道家元池坊の道祖にあたります。簡単に言うと、華道家元池坊において、小野妹子が生け花を始めた最初の人という感じでしょうか。
私は今のところ、華道をたしなんでおりませんが、御先祖に感謝の気持ちでお墓に参ってきました。普段はとてものどかな処なのですが、その日は、次期家元の池坊由紀先生をはじめ、日本中の池坊の先生方が何百人も集まられ、とても盛大なお式でした。特に今年は、小野妹子が遣隋使として隋の国に渡った西暦607年から、ちょうど1400年の節目の記念すべき年で、紫陽花の植樹が執り行われたりと、例年以上の賑わいでした。
次期家元の池坊由紀先生ともお会いし、お話も出来て、とても充実した感極まる時間を過せました。ふと、華道をやってみたいと思った瞬間でもありました。
しかし、46世の池坊由紀先生に至るまでの1400年もの時を経て、小野妹子が、このように盛大に祭られているということは、とても素晴らしいことだと感じました。また、小野妹子の墓に対する池坊の方々の功績は、とても計り知れないものがあるのだろうなと思いました。
(小野妹子廟は、大阪府太子町の科長神社南側です。この地域、近つ飛鳥は私の曾祖父の出身地でもあります。)
先のレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を見に行った折りに、足を伸ばして見てきたのが、原宿竹下通りのエルヴィス・プレスリーの銅像です。なんとも光栄なことに、小泉純一郎元総理や、坂本九、平尾昌晃、湯川れい子、BON JOVI、西城秀樹、多岐川裕美らの名前に並んで、私の名前もしっかりと刻まれていました。
20数年前に、エルヴィス・プレスリーの銅像を建立する話があり、その時に、仲間に入れてもらったのですが、エルヴィス・プレスリー像建立後、20年間、一度も見に行ったことがありませんでした。20数年経って初めて、エルヴィス・プレスリーの銅像を目の前にすると、時計の針が逆戻りしたような、奇妙な感覚を覚えました。そして過ぎ去った時間の重さを、しみじみ感じました。別に時間を無駄にしてきたという思いはないのですが、歩いてきたこの20年間の人生が、正しい選択だったのかと自分に問いたい気分になりました。
なにわともあれ、20数年の時を経て、親愛なるエルヴィス・プレスリーに出会えたことは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」との出会いに次ぐ、心躍る素晴らしい出来事でした。
(エルヴィス・プレスリーの銅像は、当初、ラ・フォーレ原宿の裏に建立されたのですが、その後、原宿竹下通りの「ラブ・ミー・テンダー」前に移されました。その時の、第2期賛同者には、浅野ゆう子、宇崎竜童、淀川長治、和田アキ子らの名前も刻まれています。)
追記:本年は、エルビス・プレスリーの30周忌にもあたり、とても記念になる出来事でした。8月16日が命日です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知 2007年5月8日(火)
ゴールデンウィークにレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を観て参りました。「イタリアの春 2007」の一環として、「受胎告知」が日本にやって来ると報道された瞬間から、この日をずっと待ちわびてきました。今年の年間目標の一つに掲げたくらいです。東京での開催の報道だったので、即刻、イタリア大使館に問い合わせて、ことの真意を確認しました。東京まで行かねばと、腹をくくった瞬間でもありました。
言わずと知れた、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」ですが、本物を目の前にする感動は、言葉では言い表せません。また、絵画としての「受胎告知」の素晴らしさも、まったく言葉では説明出来ません。巷のメディアでは、あーやこーやと分析めいたことが言われていますが、「受胎告知」は分析して観る絵ではないと、私は思います。魂で感じる絵であると断言します。それは、他のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵にも言えることです。最近は素晴らしい絵を、素直に心で感じようとせず、頭の中でこねくり回したり、机の上やパソコンの中でかき回したりする風潮にあるのではないでしょうか。もちろん、研究することも大切ではありますが、そういった見方しか出来ない方を、私はとても可愛そうに思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を鑑賞した感想はと聞かれて、「言葉では説明できない」だけでは終われませんので、一つ感想を言います。スピリチュアル的になりますが、絵との対面に運命のようなものを感じたということです。自分が今この絵の前に立っているという事実。そのこと自体に。
まだ、ご覧になられていない方、是非、東京国立博物館まで足を伸ばして下さい。心に引っかかっている方、行っておかないと将来きっと後悔しますよ。仕事を休んででも辞めてでも行って下さい。
P.S. 私、一日に2回も観てしまいました。もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を。
(「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像」 6月17日まで)
「第28回よみうり写真大賞 2006年 報道部門」に入選し、賞を頂きました。今日、その表彰状と副賞のたてが送られてきました。気軽に撮った写真だったのですが、発行部数世界一位の読売新聞で賞を頂けるとは、感慨無量です。3月に月間賞を頂き、紙面を飾って頂いたのですが、年間賞まで貰えるとは本当に嬉しい限りです。
写真というものは、努力や腕だけで良い写真が撮れる訳ではなく、被写体とのめぐり合わせという、運や縁のようなものも関係してきます。その時にその場所に自分がいる。それなしに写真は存在しません。そういう意味で、今回の私の幸運を、とてもありがたく感じます。これからも、まず自分自身が感動できる、そんな写真を撮っていきたいと思います。
6月15日(金)〜21日(木)まで、中央区備後町の富士フォトサロンで発表展がございます。近くに寄られた方は、是非ご覧になって下さい。
最近の自分の関心事は何だろうと考えてみました。「ジュエリー」「美容」「スイーツ」でした。ここだけ聞いたら完全に女性の関心事ですね。でも最近は、男性と女性の垣根がほとんどなくなってきているので、こんな人間がいても良いのではないでしょうか。私以外にもいらっしゃるかもしれませんね。
過去のブログも読んで頂いた方なら、私のことを、相当変った人間だと思われてるかもしれませんね。
3日間の断食をしました。一般には、お正月のお酒やごちそうで疲れきった胃腸を、七草がゆを食べて休めてあげる慣わしがあります。しかし、断食の効果にはとうていかないません。身体が隅々までリフレッシュできました。さなぎが蝶になったくらいの気分です。
ご経験のない方には、是非お勧めいたします。1日でも良いですし、1食でもOKです。それも無理なら、食べる量を少し減らすだけでも、それなりの効果は感じられると思います。または、肉食を控えて野菜中心の食事をしてみるだけでも良いでしょう。
特に、女性の方にはお奨めです。美容効果は抜群です。年に何回か行えばさらに良いのではないでしょうか。
もしかしたら、数あるごちそうの中の1品として、七草がゆを食べられた方もいっらしゃるのではないでしょうか。これでは全く、胃腸を休めてあげるという本来の役目をはたしておりません。ただのイベントですね。
是非皆様、今年も一年、健康にお過ごし下さい。
大阪 堀江
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